年賀状は、もう投函しましたか?
12月15日までに年賀状を出さないと元日に配達してやらんからネ!!と、いう時代は、いつ頃終焉したのでしょう???
暑中見舞いに使うハガキは、「かもめ~る」と言うようですが、、、日本の夏にカモメはほとんどいないようです。15日までに投函が時代錯誤なら、こちらは季節錯誤というところでしょうか、、。
沖縄には行ったことがありませんけど、南の島にカモメは乱舞しているのでしょうか? 阿久悠作詞の「白い珊瑚礁」という歌がありますが、群れ飛ぶカモメと白い珊瑚礁とを一緒に見るのは幻想でしょうか???
日本の夏にいるカモメは、ウミネコ、オオセグロカモメ、ミツユビカモメの三種類だけだそうです。関東以南で夏にいるのは、ウミネコだけという話もあるようです。
鴨は、同一種の中で、渡鳥であることをやめてしまった鴨と渡り鳥を続けている鴨とがいるようなのですが、どうなっているのでしょうね???
カモメの語源は「篭目」という説があります。篭目と言ったら、、、「かごめかごめ」遊びですが、これにはいろいろと恐いお話山盛りのようです(笑)
「そようちょう」という言葉は、日本史の教科書に載っていたような気もしますが、もはや何であったのか皆目見当がつきませんでした。一応、調べてみたら税に関する事でした。その土地の特産物を税として納めるのが「調」ということらしいので、「調布」はきっと布を納めていた土地なのでしょう。
「調」は、「つき」とも読むのだそうです。さいたま市(旧・浦和)にある「調(つき)神社」へ行ってみました。もう既に賽銭投げ込みスペースの確保や参拝一方通行の案内表示などの初詣の準備が終わっていました。
この神社の変わっていることがふたつあります。ひとつは、鳥居がないこと。もうひとつは、狛犬ではなくて、「狛うさぎ」が神社の入口を守っていることです。
狛犬は、わんわんドッグではなくて、ライオンがベースになっている想像上の動物「獅子」らしいですけど、調神社の狛兎は、普通に存在しているウサギです。「調」が「月」と同じ読みから、月神の使いとされるウサギが起用されたようです。
「つき」は、「ツキ」に恵まれるということにもつながるのでしょう、、、ダジャレのようなものは、全ての御利益の基本理念(?)でもあります。
5円(ご縁)と10円(遠縁)ということなのかどうか知りませんが、お賽銭が10円というのは、よくないような話を聞いたようなこともあったような気がします。にもかかわらず、本日は、10円玉ひとつ投入してきました(^^;)
今年の手帳にメモってある場所で、まだ行ってない所がいくつかあります。埼玉県小川町の吉田家住宅、東京都日野市の京王百草園、板橋区立熱帯環境植物館、城南島海浜公園などなどなのですが、、、今日は、それらのなかのひとつで「しながわ水族館」へと行きました。最寄りの駅は、京浜急行本線・大森海岸駅かJR京浜東北線・大森駅になります。今回は、りんかい線・東京テレポート駅前から京浜急行のバスで大森駅前行きに乗りました。高速道路を走ってしまう路線バスでした。
混同してしまうのは、、、品川駅近くの品川プリンスホテル内に「エプソン品川アクアスタジアム」という水族館が後からできています。これを「エプソンしながわ水族館」と言ってしまうようです。
しながわ水族館の大人入場料は、1300円で、区立の施設としては、ちょっと高いような気がしますが、イルカショー・アシカショーの分ということかもしれません。ちなみにアクアスタジアムの方は、1800円らしいですが、夜遅くまで見ることが出来ます。
水族館の周辺は「しながわ区民公園」という名前で、池や野球場・テニスコートなどのスポーツ施設があるようでした。だいぶ広そうです。カモメがいっぱいいました。
計画的に出かけたわけではありませんでしたが、着いたらちょうど開園の時刻でした。だいたい館内を一巡りした頃に1回目のイルカショーが始まるという感じです。ショーそのものは、これだけですか?みたいにすぐ終わってしまいました。平日は、イルカショーが3回、アシカショーが1回になってました。
何年か前にテレビでやっていた、デンキウナギの電気でクリスマスツリーの電球を点灯させるというのは、ここだったようで、ウナギが動き回ると電圧が表示されてツリーの電球が光ってました。
なんだかんだ4時間半ほどいて、すぐ近くにある鈴ヶ森刑場跡を見て帰ることにしました。
さてさて今年も残り少なくなってしまいましたが、それよりも切実に困る残り少ないものは、マイお財布の中の現金で、、、不意の出費にみまわれて、ついに風前の灯火状態となってしまいました。99円なりのフルーツポンチが入っていた小さなガラス壜に入れて、ここ半年くらい貯めてきた500円玉を取り崩して、この年末を乗り切らねばなりません。貯金箱の小銭を歳末助け合いなどにポンっと寄付できるような年末はいつかやってくるのでしょうか(^^;)
いや、むしろ宝くじ系につぎこんだはずの数万円を貯めておけばよかったのかもしれませんが、、。そんななかで、地元商店街の福引きの券をたくさん頂戴してしまいました。一等は、1万円の商品券、末等はテッシュです。抽選がらぽんしているのは、昨日と今日だけなので、9時開始に行くぞ!!と思っていましたが、眠りから覚めたのが、10時でした。諸般の用事などを考慮すると抽選会に寄っている時間があるやなしやあやしくなってきました。
笑う門には福来たるとも言いますが、ピンチを笑って誤魔化すということとは別なのかもしれません。幸運の女神が、その辺で道草しながらお昼寝でもしてないものか……。
今日は、夕方になってもヌクっとした暖かい風が残っていました。
昨日から都内初のアウトレット・ショッピング街がお台場にオープンしたということもあるのか、今宵のお台場は道路がとても混み合っていました。もしかすると気温の方も応援したみたいなものかもしれません。
週末ですし、そろそろレインボーブリッジも虹色ライトアップになるのではないかと思って、見に行きました。寒風が吹き荒れている日には行きたくなくなりますし。
写真の手前でツリーになっているのは、高さが20メートル幅が10メートルくらいあるタブノキです。ここ10年間くらい「台場メモリアルツリー」の役目をしています。樹齢はおよそ100年なのだそうです。千葉県香取郡のお生まれです。まさか体中にぴかぴか光り物を付けられることになるとは、幼木の頃には思ってもみなかったことでしょう(笑)
1000年とか5000年生き続けている木々は、近年の気候をどのように感じているのでしょう??? 植物にとっては、二酸化炭素が増えるというのは、美味しいことなのでしょうか???
うらわ美術館から、てくてくてくてく歩くこと1時間くらいで、さいたま新都心へと着きました。”臨海副都心”よりもさらに意味不明な感じがする「新都心」です。新東京タワーの誘致に失敗した分の土地は、どうなったのでしょう???
ジョン・レノン・ミュージアムを見てみることにしました。本家本元の英国リバプールでも米国ニューヨークシティでもなく、、、なぜか「さいたま」にあることは、\(^^)/万々歳なことです。
最初に7分間の映像を劇場風の部屋で見せられますが、貸し切り状態でした。展示室は、4階と5階の2フロワ10区画くらいになっていました。4階から5階へは一方通行で、戻ることができません。
今までどの美術館でも見たことがなかったオノ・ヨーコの作品も展示されていました。ジョンよりも7つ年上だったということを始めて知りました。
子育て専業主夫としての姿こそが、最大の平和運動であったのかもしれませんね。なかなかよい展示内容でした(^^)
一昨日の夜、昨年と今年使っている手帳と同じ来年のを買いに、通勤とは関係のないJR御茶ノ水駅でわざわざ下車しました。昨年は確かにそこで手に入れたのですが、今年は売っていなくて無駄足となってしまいました。今日は、日本橋にあるその店の本店を見てみましたが、やはり売っていませんでした。
昨年の暮れに手帳を買いに出かけた時は、銀座の伊東屋から始めてなかなかみつからなかったような覚えがあります。伊東屋の5階手帳売り場では、メーカー別に案内番号まで表示して並べられていましたが、欲しい手帳は存在していませんでした。あきらめて、一昨年使っていたのと同じ手帳を買うことにしました。
有楽町駅から浦和駅へと移動して、うらわ美術館へと行きました。”オブジェの方へ-変貌する「本」の世界”という展示が来年1月24日までです。
文庫本のページを折っただけみたいな、先にやったもん勝ち!!作品もありました。1000度以上の高温で雑誌や本を焼くと陶器みたいになるようです。燃えないように焼くのでしょうけど作家の造形力はどこにあることになるのでしょう???
2000冊の本を焼いてコールタールを塗ったという臭い作品も床に広いスペースを取って置かれていました。保存や移動はどうするのかということの方が気になりました。
オブジェになりつつあるということではなく、ほとんどもう「本」というものではなくなっている感じでした。
うらわ美術館のある建物は、バブル期の頃にオープンして大規模な電飾イルミネーションなどを行っていたシティホテルだったところかと思います。しばらく来なかった間に旧中山道沿いにあるお店などもだいぶ変化があったのかもしれません、、。
小石川植物園でスケッチをしている人の大半は、植物ではなく「旧東京医学校本館」であった建物を描いているようです。今は、「東京大学総合研究博物館小石川分館」というものになっています。この博物館には、植物園を出ないと入れませんが、植物園には再入場はできないことになっているようです。博物館は、入場無料です。
博物館の「博」は、「博学」とか「博識」などの「博」と一緒で、とってもヒロシくんな意味かと思えます。ところが、ここの博物館の展示物は、出し惜しみしているのではないかと思えるくらいに狭くいつも変わりばえがしない品々が並んでいて、脈絡が無く説明もないところが、なんだか逆にとっても奥が深く、超~アカデミックなのではないかと凡々人は、目眩ましをくらうのであります。”常設展示「驚異の部屋」”という名称になってました。
入口のすぐ前に置いてあるのが、口径8センチくらいの経緯台式の屈折天体望遠鏡です。回転リボルバーな(?)接眼鏡も付いているので、筒先を植物園の方に向けて覗いてみたくなりますが、たぶん展示物には触ってはいけないのでしょうね。隣には、小動物や鳥の剥製があります。岡田外相に似た胸像やら人体解剖模型が仲良く並べられています。そんなのを見ていると「ノアの方舟、アノ僕が運ぶネ」などと意味不明の呟きをしたくなってきます。
ところで、草花の場合は、「百花」「百草」「千草」と言うくらいで足りてしまうので、「博」とは「万」から先の単位なのかもしれません。
一昨日、あしかがフラワーパークへ到着したのが、午後2時40分くらいでしたが、3時で一旦客を追い出して、3時半から昼間よりも入場料を多くして、電飾の夜の部になるのでした。紅葉は、「フラワー」ではないからなのか、紅葉ライトアップなどはまるで行う気がなさそうです。寒空の下で寒い電飾を見るほどのこともないので、20分弱の入場だけで帰ることにしました。
キャラメルポップコーンを売っていたので、ひとつ買いました。その味は、不思議なことにTDRの電飾行列を見たくさせるものがありました、、。記憶の脈絡のない連鎖が始まり、いつのまにか頭の中では城卓也の歌う「骨まで愛して」が鳴り響く、なぁんてことは蟻ま千匹。
足利市駅から大岩毘沙門天までは、3時間余りかかりました。名草巨石群までは、さらに4~5時間歩かないといけません。ハイキングコースだけでなく道路もあるので、毘沙門天から市街地へ戻るのは、車道を歩いてみることにしました。地図は持っていないので、歩いてきた山道の方角を忘れないようにしながら、、、ということで、これがホントの「ヤマカン」というやつかも(笑)
道路は、ハイキングコースのようにアップダウンがなく、一方的に下るのみでしたので、だいぶ時間短縮になりました。歩くには面白くありませんが、車道をある程度使えば、名草巨石群まで行って帰ってこられそうな感じがしてきました。もっと山道を早く歩ければよいのですが、、。たいていどこの低い山にも、そこを毎日歩いているという老人がいるもので、その歩行スピードにはなかなかついてゆけません。
やっと見覚えがある「渡良瀬橋」の歌詞にでてくる床屋さんの前まで戻ってきたのが、正午過ぎでした。
鑁阿寺の大イチョウは、ほぼ葉を落としていました。落ち葉は、いずれ片付けられるのでしょうが、凄い量に見えました。
境内の日本庭園風になっている池の畔に白く丸いものが落ちていて、かすかに動いていました。烏骨鶏のようですが、窪んだところの草のなかに座り込んでいるので、なかなか顔が見えませんでした。なんとか覗きこんだら、、、一瞬、白雪姫に毒林檎を渡した老婆のように見えましたけど、写真では優しい目に写っていました。あまり元気がなさそうで、野良猫にでも襲われたら一撃で昇天しそうな感じでした。
足利学校の前にある古本屋さんは、お休みの日でした。JR両毛線で一駅移動して、あしかがフラワーパークに寄って帰ることにしました。
北風ぴーぷー吹いてしまいました。師走らしい空気になったのかもしれませんが、寒い!!です。
栃木県足利市の山道を数時間歩けば辿り着けるらしい「名草の巨石群」というところが前々から気になっているのですが、日の長いときでも下手すれば帰る頃には暗くなってしまいそうなので、なかなか出かける決心が付きませんでした。今日は、どの程度の山道なのかの下見を兼ねて途中まで行ってみることにしました。
東武伊勢崎線・足利市駅に着く直前には、富士山が見えました。快晴の朝です。渡良瀬川を渡っていると上流側に富士山にそっくりな山が見えましたが、先ほど見えた富士山よりも大きくて立派な感じでした。榛名山かなにかなのでしょうか???
「二二九段登れば叶う縁結び」の織姫神社石段から入って、先月の17日には雨の紅葉見物となってしまった「もみじ谷」へと迂回してみたら、もうまるっきりさっぱりと落葉してしまっていて、まるで別の場所のようでした。
両崖山は、標高251mの低い山ですが、アップダウンが多いので、意外と疲れます(^^;)
山頂付近に太いモミジの木があって、まだ綺麗に紅葉してました。ここまでは何度か来てますが、モミジがあることなど気付きませんでした。両崖山から先は、今回が初めてとなります。
とりあえず「大岩毘沙門天」というところを目差します。またも登ったり下ったりの繰り返しでした。毘沙門天は、小さな祠でもあるだけかと思っていたら大違いで、13世紀頃の開山で大きな本堂が建っていました。「八幡太郎義家が祈り、源頼朝が願い、足利尊氏の危急を救った」のだそうです。大晦日には、「悪口(あくたい)大声コンクール大会」というのが開催されるとのことです。「ばかやろー!!」と叫んで、優勝賞金は1万円(^^)v
ここからさらに小一時間歩いたところに紅葉が絶景だという行道山浄因寺があるのですが、また出直すことにしました。
写真は、毘沙門天の鐘楼です。「梵鐘一打百円」の貼り紙がしてありました。
